平成14年3月1日号


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5回「歌舞伎フォーラム」公演

「小芝居再発見」〜(かぶきはともだち)

6、7日は大阪・国立文楽劇場

8、9日は京都・京都会館第2ホール

現在の大歌舞伎とは違って低価格、小さい小屋で

お馴染みの狂言を優しく上演したが41年前に消滅


 「小芝居再発見」・。

 現在、まったく見る事が出来なくなった恟ャ芝居揩ヘ、大阪松竹座や東京・歌舞伎座の大歌舞伎に対して、低価格で小さな小屋(劇場)を中心に公演してきたもの。六、七日、大阪・日本橋の国立文楽劇場と八、九日、京都の京都会館第二ホールで行われる歌舞伎フォーラム公演は「小芝居再発見」と銘打ち、今ではほとんど見る事の出来ない狂言を復活上演する。

 宣伝惹句(じゃっく)=いわゆるキャッチフレーズは「かぶきはともだち」。

 来る十一月には大阪市内で昨年秋、東京・浅草で中村勘九郎らの手によりよみがえった芝居小屋「平成中村座」がやって来る。

 小芝居はさらに小規模な劇場での芝居や、そこで上演されている独自の演目の総称。江戸時代には、幕府公認の劇場のほかに、各都市にある神社の境内にあった芝居小屋で、寺社の開帳や祭礼の余興などの名目で公演を行っていたという。

 官許の劇場と違い、さまざまな形で制限を受け、櫓をあげられず、舞台機構にも廻り舞台・引き幕の使用が出来ず、また衣装や鬘(かつら)などにも制約を受けていた。

 明治維新とともに、公認劇場制度は廃止され、資力・実力のあるものは、小劇場として「小芝居」の常打ち公演を行っていた。

 明治中期から大正初期にかけては大衆娯楽の一つとして人気を得ていた。

 しかし、活動写真(映画)が登場。さらに戦後は大阪、京都、東京などにそれぞれ三十ほどあった小劇場も社会情勢の変化、娯楽の多様化に伴い、昭和三十六年の東京にあった「かたばみ座」公演を最後に消滅。各座のスター役者は大歌舞伎の脇役となっていった。

 小芝居で上演されていた演目の多くは継承・保存される事なく現在に至っている。

 今回が五回目という歌舞伎フォーラム公演は、単なるノスタルジーにとどまらず、大歌舞伎とは違った小芝居の面白さ・役者と観客の一体感や親近感、普段見られない狂言の上演という小芝居の利点を生かして、より多くの人に歌舞伎を楽しんでもらおうという目的に公演を続けている。

 さて、今回は討ち入りから三百年に当たる今年に因み、「義士外伝・大石東下り・小田原本陣宿の場」と、関西の小芝居で人気のあった「連如上人吉崎御坊・肉付の面」。さらに「歌舞伎に親しむ・歌舞伎の大道具」のアトラクションが付く。

 「大石東下り」は、映画「忠臣蔵」には必ず入っているエピソードだが、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」全    十一段にはない一幕。元赤穂藩城代家老・大石内蔵助(当時は内蔵之助と書いた)が討ち入りのため、江戸へ向かう途中の、小田原での思いもよらぬ事件とその粋な結末を描いたもの。大石に中村又之助、息子・主税に沢村国矢、本陣宿の女将に中村歌女之丞、立花左近に市川新七。

 「歌舞伎に親しむ」は解説・中村勘之丞。

 「肉付の面」は、関西方面を中心とする地方ではよく上演された演目。約四十年ぶりに復活する。本外題は「北国嫁威谷(ゆきぐによめおどしだに)」。全国に残る宗教的伝説(=霊験記)を元になっており、狂言や文楽にも同じ題材が見られる。見どころは長時間お面をかぶったままセリフを言ったりする、歌舞伎では大変珍しい場面がある。

 母・おいまに歌女之丞、吉田与惚次に中村梅蔵、女房・お清に沢村国久、連如上人に勘之丞がそれぞれ扮する。小芝居は大抵が口立てで稽古していたため台本がなく、いずれも演出の兼元末次氏の記憶を元に演出やセリフを起こし台本を作った。兼元氏は最後の小芝居役者で、現在は義太夫の三味線方・豊沢時若として活躍中。

 大阪公演は六日午後六時、七日同一時、六時開演。京都公演は八日同六時、九日同一時開演。いずれも一般五千五百円、高校生以下三千五百円。親子連れの場合、それぞれ五百円引き。

 主催は歌舞伎フォーラム恪ト発見搦タ行委員会、舞台創造研究所・柝の会。後援は大阪市、大阪府文化振興財団、毎日放送、上方芸能。問い合わせは公演事務局電話06・6942・6591。

 

振興財団、毎日放送、上方芸能。問い合わせは公演事務局電話06・6942・6591。 

発行所:大阪ジャーナル