平成17年1月1日号
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 関西外国語大学教授で元府議の池尻久和氏が昨夏、休みを利用して、母校ジョージ・ワシントン大学と同大学院を表敬訪問、さらに昨年は米国大統領選挙の年なので行政視察を行った。その時の印象をまとめ本紙に投稿してきた。紹介する。


池尻久和・関西外大教授

  イラク戦争後のブッシュ政権は外交やテロ資金取締り
  など国際協調主義にもとづく国連を通じた協力が課題



T まず、サダム・フセイン(元)大統領の残虐行為
 彼の非人間的行為を次に列挙すると、
1 1988年、フセインは国内のクルド人を大量破壊兵器(毒ガス)を使って殺害した。
2 1980年代から「地域覇権」を目指し、核兵器の開発を模索してきたので、1995年、フセイン大統領娘婿カーメル中将が亡命して核開発計画が発覚すると、査察そのものを拒絶した。
3 1991年の湾岸戦争でフセインは停戦条件として、@大量破壊兵器の製造と使用禁止、A射程150キロメートル以上のミサイルの破壊を約束したにもかかわらず、国連決議を12年間にわたり、16回も無視続け、査察拒否・妨害などを繰り返した。
4 2001年9月の米中枢同時テロ事件の際、アルカイーダと関連が疑われていたフセインは「事件の原因がアメリカ側にある」と発言した。
 歴史上の非道な独裁者、ソ連のスターリン、中国の毛沢東や北朝鮮の金日成、金正日父子らのように、虐殺と暗殺を繰り返すフセインの恐怖政治をイラク戦争によって排除したことに関して、米国世論は「イラク人がフセインの軍事独裁から解放され、自由と民主主義を手に入れた」また「リビアなどの核開発の野心を打ち砕くことに成功した」ことを高く評価している。
U2001年9月11日テロ発生
 アメリカ経済の象徴、ニューヨーク世界貿易センター・ビル及びアメリカ軍事力の象徴、ワシントン国防総省の心臓部は2001年9月11日民間機によって破壊され、約80カ国の罪の無い約3500人の尊い命が奪われた。
 このままテロリストを放っておけば、アメリカがますます攻撃されるかもしれないという心配から、現在の行動は対テロ戦闘中の感がした。
 しかし、これは、あくまで臨時の戦争状態の中であり、この状態が何時まで続くというわけでもないが、今の一種の臨戦状況を見て、アメリカは異常であるから、駄目だと断定するのは「木を見て、森を見ない」愚かさと同じである。アメリカ社会を点と点を結ぶのではなく、線と線、面と面で結ぶ、いろいろな角度から光を当てて、そこから国家の全体像、立体像を照らし出さねばならない。
V テロとは
 テロ集団は目に見えない、また合理的行動もしないし、対話にも応じない、誠に新たな敵である。それを支援する団体・国家はならず者である。
 テロは武力行為そのものであり、法と正義に逆らう勢力には武力で対抗する以外にない。武力・軍事行為はもちろん危険であるが、行動しないことの方はさらに危険は大きい。
 テロ勢力を放置すれば、世界の安定・安全自体がますます脅威にさらされる。テロとの闘争には中立の立場はない。こういう相手に対して、相手が攻撃の準備に着手したと判れば、その段階で先に攻撃を加え、相手の攻撃を防ぐ対応が必要である。
W ブッシュ・ドクトリン
 2002年9月、ブッシュ大統領は主権国家としての自衛権の拡大ということで、攻撃は最大の防衛で、必要なら脅威が実体となる前に「先制攻撃」も辞さないとの指針を「国家安全保障戦略報告」にまとめた。
 これが「ブッシュ・ドクトリン」と呼ばれるものである。具体的には
1 アメリカを脅かすテロ集団・テロ集団を支持する国家に対して武力制裁を加える。
2 核兵器、生物兵器、化学兵器などの大量破壊兵器を保存する国家・集団が将来アメリカに対して、それを行使する恐れがある場合、先制攻撃も自衛権の範囲内にあるものとして許される。この際、国連決議は不要で、アメリカ独自の判断で行使出来る。
3 アメリカは世界の超大国として地位を維持し、アメリカの国益と地位を脅かす者に対して断固とした態度が取れる。
 冷戦時代は大量の核兵器を持った米国とソ連がにらみあい、相手を攻撃すれば報復を受けることから、互いに戦争を避ける「抑止」が働いた。外交や経済制裁を通じて、ソ連の勢力拡大を防ぐ「封じ込め」も重要な戦略であった。
 ところが、国家を持たないテロ集団や自分がどうなっても構わないという考えの相手には「抑止」は効かない。軍事大国のアメリカでも、相手が国家ではなく、テロ集団となると対応も根本から変えざるを得ない。
 すなわち、、従来の「抑止」という機能が効かないのである。従って、ブッシュ・ドクトリンは21世紀の新たな脅威の対処法として提唱された。
X イラク戦争
 イラク戦争直前の国連決議の段階で、フランス、ドイツ、ロシアはイラクの武装解除が国連の「査察」と「経済制裁」によって封じ込めが可能であり、武力行使を実行するのは、以前の国連決議では弱いなどといって、武力行使には反対の姿勢を取った。しかし、アメリカとしては、これらの国々が政治ゲームに走って、事態を意図的に遅延させようとしていると見た。
 すなわち4月に入ると、砂嵐の季節が来て、軍事力でイラクを打倒するチャンスを失うかもしれない。さらに1年延びると、2004年は米国大統領選挙の年であり、戦争のタイミングを失ってしまう。こういう情勢分析をもとに、ブッシュ大統領は反戦・平和だけの無抵抗主義では独裁者の恐怖政治の脅威は防げないと考え、2002年10月アメリカ議会はブッシュに、イラクへの武力行使容認決議を可決していたので、イラクが無条件査察の合意に違反し、大量破壊兵器を隠ぺいしているとの理由で、2003年3月20日にアメリカ・イギリスなどの合同軍が、国連の武力行使容認決議がないままに、イラク戦争を開始した。
 2003年4月7日首都バグダッドに侵入、4月9日に大統領宮殿などを占領(フセイン政権崩壊)、開戦からたったの25日間で、4月14日イラク全土を制圧、5月2日ブッシュ大統領がイラク戦争「戦闘終結宣言」を発表。でも、その後、フセイン残存勢力及び国際テロ組織による米英兵士などへの単発的な攻撃が継続して、多くの犠牲者が相次いでいる。
(2面へ続く)

発行所:大阪ジャーナル