平成17年4月1日号
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第9回「上方殿堂入り」表彰

  大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)=大阪市中央区難波千日前=は、上方演芸の発展と振興に功績のあった人物の発掘を行い、その業績を称えるとともに、その名を後世に継承するため、「上方演芸の殿堂」を設け、殿堂入りした演芸人の芸の再現や関係資料の展示を行っているが、先月25日、ワッハ上方5階ホールで第9回の「上方殿堂入り」演芸人2組4人を表彰した。今回から相方やメンバーが亡くなった漫才コンビ、グループも対象となり、殿堂入りはこれで28組40人となった。


   いとこい≠ヘしゃべくり漫才で笑いの王道を究めた
   破天荒なやすしと受けのきよしのアドリブが全国制覇


 今回殿堂入りしたのはしゃべくり漫才で人気を集め、いとこい≠ニ親しまれた夢路いとし・喜味こいしさん、また、やすきよ≠フ愛称で漫才ブームを盛り上げた横山やすし・西川きよしさんの漫才コンビ。
  表彰式は午後7時から行われ、いとしさんの妻・篠原幸子さん(七九)、やすしさんの妻・木村啓子さん(五八)も登場、選考委員長の作家・難波利三氏から賞状を受取り感慨深げに謝意を表した。 
  夢路いとしさんは本名・篠原博信。大正14年生まれで平成15年に78歳で亡くなった。喜味こいしさんは本名・篠原勲、昭和2年生まれで、現在77歳。昭和12年、上方漫才の草分けである荒川芳丸に入門、荒川博・芳坊を名乗り、翌年吉本興業に入り、初舞台を踏んだ。昭和23年夢路いとし・喜味こいしと改名。いと・こい漫才≠ナ親しまれた。
【受賞理由】戦前・戦後を通じて、しゃべくり漫才60年余の夢路いとし・喜味こいしは、子供漫才としてデビューの兄弟漫才。一貫して子供から大人まで顔を赤らめずに笑える身近な健康的、無邪気なネタに徹し、その話術は漫才の最高峰に達したと評価された。
  漫才を庶民の娯楽の筆頭に上げた功績は大きく、上方漫才界に与えた影響は計り知れない。
  主な受賞は、昭和42年、文部省芸術祭・奨励賞、同44年、第4回上方漫才大賞、同51年、第5回上方お笑い大賞、平成5年、秋の紫綬褒章、第43回芸術選奨、同10年、秋の叙勲勲四等旭日小綬章、同11年、大阪市指定無形文化財(上方漫才)、同13年、第30回上方お笑い大賞30周年記念特別賞、同15年、第51回菊池寛賞など。
  一方、横山やすしさんは本名・木村雄二。昭和19年生まれで、平成8年に52歳で亡くなった。西川きよしさんは本名・西川潔。昭和21年生まれで現在、58歳。
  中学校卒業後、漫才師を目指すものの何度となくコンビを変えたやすしと、17歳でコメディアン石井均に弟子入りし、吉本新喜劇でデビューしたきよしが出会い、昭和41年漫才コンビを結成し、折からの漫才ブームに乗って一躍人気漫才師として頂点を究めた。
【受賞理由】横山やすし・西川きよしは、強烈な個性、絶妙の間(ま)、コンビの持ち味などで実力・人気ともに他の追随を許さず、若手の先頭に立って、漫才ブームを起こした。破天荒なやすしの舞台でのアドリブに受けて立つきよし、その縦横無尽に広がるネタは老若男女の支持を得て、笑いで全国制覇を果した。
  いとし・こいし、やすし・きよし両コンビの漫才の特徴は常にストーリー性豊かなネタの展開、漫才の王道・しゃべくり漫才に終始したことで、「漫才てほんまにおもしろいな」と客を腹の底から笑わせ楽しませ世の中を明るくしたことだ。また、漫才師を目指す若者に与えた影響も見逃せない。
  いとし、やすしの両人が没した現在、昭和・平成の名コンビ、いと・こい、やす・きよの漫才道・功績を称え殿堂入りに選考された次第である。
  主な受賞は、昭和42年、第2回上方漫才大賞新人賞、同45年、第5回上方漫才大賞、同52年、第12回上方漫才大賞、同54年、第8回上方お笑い大賞、同55年、第15回上方漫才大賞、芸術祭優秀賞(文化庁)、同56年、第1回花王名人大賞、同59年、第13回上方お笑い大賞、第4回花王名人大賞など。
  なお、3月17日から6月28日まで、同資料館展示室で2組の衣装や舞台写真、似顔絵など関連資料の特別展示が開かれている。

   

発行所:大阪ジャーナル