平成17年11月1日号
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 柴田正己 戦争遺構研究会代表


 昭和は遠くなり、戦争体験者は激減、今のうちに
 若い世代の戦争の受け止め方を改善すべき要あり



  今回の屋外での公開講座は雨のため教室に変更した。星空の下で、戦争・平和について考えて欲しいと戦争遺構のスライドを準備していたが残念であった。
  近代建築に比べて、近代の戦争遺構については話しにくい部分がある。それで最近は、いろんな場面でそれらについて話すようにしている。忘れられないようとしている戦争の時代を何とか後世に伝えたいと思うからである。
  高校・専門学校・大学・市民講座などで戦争遺構を通じて戦争の歴史について話す事がある。原爆ドーム・毒ガス工場跡などの戦争遺構を熱心に見て、それらを保存していく意味を考える人もいるが、金をかけてまで残す意味を感じない人もいる。特に若い人たちの中には「自分たちには関係ない。過去の事など聞きたくない」と考えている人が多いようである。そのためにも、戦前に生まれた年代の者が戦争の歴史を伝えていく努力をしなければと思っている。
  次の作文は当日、出席した学生のレポートである。戦争について真剣に受け止め、考えようとしている若い人がいる事も忘れてはならないのである。
「昭和初年の記録映像(昭和の名作映画など)を鑑賞する集い(3)」今月5日午前10時から、堺市立東文化会館。
  昭和戦前の貴重な記録映像を上映します。興味のある人はご自由に参加下さい。
  第4回目(12月17日)は、昭和の名映画「二十四の瞳」(高峰秀子主演)を上映します。入場無料(主催「昭和の庶民史を語る会」
大阪デザイナー専門学校  建築デザイン学科 木野明子
  「公開講座では、戦争遺構を残すがどうかの問題点に触れていました。その中で感じた事は、同じ過ちを繰り返さないためには、次世代に戦争を伝えていく事は大切な事だと思います。戦争を語り継いでくれる人がいるから、私が生まれた時代には戦争が起こらなかった事は、確かな事実だと思います。ですが、21世紀という新しい時代を迎え、建物も木造中心であったものが、石・コンクリートといった近代材料のものが主流となっています。広島の原爆ドームを例に挙げても、周りは近代の高層ビルが建ち並ぶ街中に、不釣り合いな建物が一つだけ浮いているといった感じが抜けません。また、21世紀になり、戦争経験者の数が減り、生の声を聞く機会が失われつつあります。残された世代は、建物・写真・資料から、かつての惨劇を学ばなければいけません。
  自分から積極的になって戦争を学ぼうとしなければ戦争の影はどんどん薄くなっていくばかりです。忘れ去られていく戦争遺構を残す必要があるのか?と問われると、私の意見としては残す必要があると思います。なぜなら、人間はおろかな生物なので、遠い未来、確実に同じ過ちが起こる可能性があると思うからです。ですが、今のように戦争経験者が演説を行い、戦争被害にあった建物を現世に残し、戦争資料を残しているだけでは、それら全ての行為は無駄であるように思います。大切な事。まずすべき事は、戦争を受け取る今の世代の若者の受け止め方を改善する必要があるのではないでしようか」
【写真】
  世界文化遺産・原爆ドーム(旧広島県産業奨励館、88年8月2日付、M夕刊)の外観。


<4面から続き>

  また、演出家として役者の個性を十二分に引き出すとともに、多くのスターを生み出し、宝塚の発展と後進の育成に手腕を発揮してきた。このように宝塚歌劇という演劇の世界を確立し、その存在を全国的なものに育て上げてきた功績は多大であり、今なお関西の演劇文化を支えている同氏の業績は大阪の文化振興に大きく貢献するものである。
【略歴】昭和31年早大文学部卒。32年宝塚歌劇団入団、54年同劇団理事、平成8年理事長、16年現職。
【同】
 宮本さんは幼少期を「泥の河」の舞台となった中之島で過ごす。その後幾度か転居するが、青年期までの多くを大阪で過ごした。
  追手門学院大学を卒業後、昭和45年広告代理店に勤務するが、同50年に退職、その頃から本格的に小説を書き始める。同52年、大阪を舞台とした「泥の河」で太宰治賞、同53年「蛍川」で芥川賞を相次いで受賞するなど、その作品は高い評価を得ている。
  同56年には「道頓堀川」を刊行し、「川三部作」を完結する。同62年には「優駿」で吉川英治賞を史上最年少で受賞した。また、同63年から三島由紀夫賞、平成8年から芥川賞の選考委員を務めるなど活躍の場を広げている。
  大阪を舞台にした作品も多く、また優れたストーリー展開と質実で爽涼感あふれる文章で真摯に生きる人々の暮らしの機微を克明に描いた作品は、数多く映画化され高い評価を得るとともに、人々に親しまれる作品となっている。このような宮本輝氏の活躍は、大阪の芸術文化の振興に大きく貢献するものである。
【略歴】昭和45年追手門学院大学文学部卒。同52年「泥の河」で第13回太宰治賞、同53年「蛍川」で第78回芥川賞、同62年「優駿」で第21回吉川英治賞、同じく第1回JRA馬事文化賞、三島由紀夫賞選考委員(現在に至る)、平成6年度兵庫県文化賞受賞、同8年芥川賞選考委員、同11年34回大阪市民表彰。同16年「約束の冬」で平成15年度芸術選奨文科相文学部門、同17年度三好達治賞選考委員。

発行所:大阪ジャーナル